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長居「シェルター対策」と
「ホームレス特別措置法」についての

意見


2002年9月2日
K.Nakagiri(長居公園仲間の会)
E-mail:nkosuke@hotmail.com

☆はじめに

「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」(以下、特措法)が成立した。こ
の法律は仲間に何をもたらすのか。この仲間の問いに、先行的に「シェルター(仮設
一時避難所)」を経験した長居の現場から答えていきたい。
私は野宿の仲間ひとりひとりの「思い」や「願い」にどこまでもつながり続けたい。
いま、この活動に関わる者としてこの当たり前のことをも強く言わなければならない
ように思う。われわれ仲間の会の運動は仲間とともに生活する、生活の位置にのみ
依って立つ。

☆ 大阪市による長居公園の「シェルター対策」について

 500張り近く存在したテントが半年の間に50に減り、一年でほぼゼロとなった。行政
はこれを「成果」という。だが仲間は本当に「対策」による利益を得たのか?
なぜこのような短期間に仲間は公園から去ったのか。「シェルター対策」が仲間にも
たらしたものは何か。行政の「対策」の質を明らかにする。

 まず前提として以下のことを確認したい。

@ 少なくとも行政・地域住民サイドでは野宿の問題とはほぼすべて公園管理の問題
であるとみなされ、テント撤去が関心の全てであったということ。
A 2000年7月以前に園内に当該を組織した運動は存在せず、シェルター開設要求もな
かったということ。
B 長居公園が「対策」地域として選ばれたのは、大阪市の長居公園をスポーツ振興
の拠点とする目論見があったこと。2000年4月、中馬弘毅・元運輸総括政務次官の
FIFAワールドカップや大阪オリンピック招致にふれた発言「(長居公園の野宿者とテ
ントなどを)一緒に排除していただきたい」
C 長居「シェルター対策」は、「自立支援センター」とあわせて1999年5月ホームレ
ス問題連絡会議「当面の対応策」後の、野宿者「対策」の全国的なモデルケースとさ
れていたこと。

 ★ 「説得」という攻撃

 2000年8月以降の市職員による「説得」という入所圧力は、仲間にとっては「対策」
を受け入れるか公園から退去するかの二者択一を迫るものだった。生保は支援団体の
活動により拡大確保されたが、それはテント撤去という行政の目論見の下に包摂され
ていった。10月5日の当事者・支援者と市当局との団体交渉において、「強制排除」
は行わないとの確認がされたが、そもそも「強制」が準備されようがされまいが、実
質的な強制排除となる質の攻撃だった。
「説得」が強力な攻撃となりえたのはなぜか。そもそも多くの仲間は野宿であること
によって「負い目」を負わされている。(「他人に迷惑をかけている」「違法行為を
している」など・・・<他者関係>)。また行政・社会によって野宿に追い込まれなが
ら、放置され、見殺しにされてきた、疎外を受けてきたという「傷」を負っている
(「働けない」「野宿を抜け出せない」「わしはダメなやつだ」「こんなことして
ちゃいけない」など・・・<自己関係>)。そして「傷」は「自助努力」という言葉で
自らの責任として(「負い目」として)転化されている。「傷」も「負い目」も行政
と地域社会によって背負わされたものである。野宿生活はいうまでもなく生活自体が
厳しいものであるが、仲間は「負い目」と「傷」のために自らの人格を否定するとこ
ろまで、より厳しいところに追い詰められている。そのようななかで仲間は、入所で
あれ移動であれ生保受給であれ、テントを撤去する以外に「負い目」から逃れるすべ
はなかったのだ。
経過を見ると、まずテント生活で喰えない仲間から行政の生保制限緩和策のもとア
パート入居を選択した。そして強制排除もありうるという混乱を避けて、野宿自立の
仲間が自らの生活を保持するために他公園などに移動した。様子を見ながら残った仲
間は、仲間のテントが急激に減少したことによって圧迫を受け、テント撤去を選ばざ
るを得なかった。それは到底、自発的な、自由な選択といえるものではない。

 ★ 仲間の財産

 一方で仲間たちは、「傷」や「負い目」を負わされながらも、野宿生活をしながら自
ら「財産」を築いてきた。

・ アルミ缶労働などによる自力・自立の生活
・ 周辺の仲間との人間関係。「居場所」の獲得
・ それらを通じた人間としての誇り・尊厳の確保

「対策」圧力のなか、仲間はそれら「財産」を全否定され、放棄することを余儀なく
された。

 ★ 「対策」の欺瞞

 仲間にとって「シェルター対策」はテントをたたb゙ことで一時的な安寧を得られる対
症療法=一時しのぎの処方でしかなかった。シェルター入所者も保護受給者も少なく
ない人が新たな重荷を抱えている。「対策」が「就労自立」に結びついた仲間はごく
わずかである。移動者、野宿往還者は言うに及ばない。「対策」は「傷」への処方で
はなく「負い目」から解き放たれる手段でもなく、それとは正反対の「傷」をさらに
深くえぐり「負い目」を増大する仕方で行われたのだ。
長いの「対策」は当初からテント撤去のみを目的としていた。最後まで野宿当事者の
生活の都合、「思い」や「願い」は汲み取られることはなかった。そのうえ、支援運
動の中でも野宿からの脱却を支援することが運動の一義的な目的であり当該の願いで
あるとの錯覚があった。

★ 「対策」は仲間にとってはまぎれもなく「攻撃」だった。仲間の「負い目」につ
けこんで「自立」と「社会復帰」を押し付け、「財産」を奪い捨てた。当時の支援運
動は行政のこの攻撃の質に対応することができなかった。


☆ 「ホームレス特措法」について

 ★ 特措法体制化の攻撃

 特措法はこのような長居の経験を全国各地にもたらすことになるだろう。「長居型
シェルター対策」でなくとも「野宿(者)」の存在を否定する以上、攻撃の質はまっ
たく同様である。仲間に「傷」と「負い目」を負わせたことを、「自助努力」という
言葉で仲間自身に責任転嫁する。「社会復帰」と言う言葉で仲間の「財産」と生存を
否定する。「自助努力」がなく「社会復帰」が果たせない=「対策」に乗らない=社会
生活に適合しないとみなされたら徹底的に排除する。「対策」圧力を受け仲間はやは
り「対策」に乗るか退去かの二者択一を迫られる。またもや仲間は「自立支援」の名
の下に住居だけでなく「財産」をも失うのだ。

 ★ 自立とは何か

 ★ 自立の形態は多様であり自立に至る経路も多様であること、その形態と経路を選
択する権利は当該にあることを、余計な介入をすることは当該の利益にならない場合
もあるということをも含めて、最大限に注意しなければならない。特措法はこのこと
を真っ向から否定する。仲間はすでに地域で働いていて、生活している。多くの「財
産」を蓄えている。ただそれがまだ、認められていないだけだ。

 ★ 地域の責任

 仲間は地域で生活している。にもかかわらず仲間は地域から排除されている。このこ
とが仲間の生活にとっての最大の矛盾である(神戸において大震災時、地域住民が仲
間に対して行った仕打ちを見よ!)。行政の排除のベクトルを支えるのは地域社会で
ある。排除策動があるとき、どの現場でも必ず「地域住民(施設利用者)の苦情」が
発端となっている。苦情があり、住民自治会(など)が動き、公園事務所(など)が
動く(そのエネルギーは野宿者に対する恐れと嫌悪に因っている)。仲間が傷つき苦
しむのは、地域社会の責任でもあることを厳しく問わねばならない。
仲間はなぜ差別を受けねばならないのか。家を持たないからか、家族を持たないから
か、金を持たないからか、定職を持たないからか、友人を持たないからか、モラルを
持たないからか、言葉を持たないからか、武器を持たないからか。・・・おそらく全
ての型を持たないから。なぜ持たざるがゆえに差別を受けねばならないのか。変わら
なければならないのは仲間ではなく、地域だ。

★ 特措法の背景

 「傷」や「負い目」は差別の産物であり、差別の現象そのものである。野宿者差別は
小石川以来、底辺労働者を人格を切り捨てた単純労働力として使い捨てにしてきた支
配構造の産物としてあり、そしてまた戦後、経済成長が至上の理念とされ同時に人間
疎外の社会がつくられゆくなかで醸成された「落ちこぼれ」蔑視としてある。「怠け
者」「浮浪者」との烙印は、市場主義の産物なのである。いま新自由主義体制下、
「自助努力」が強烈な攻撃として突きつけられているのも、この差別の仕組みの帰結
である。
野宿者の激増は新自由主義の最大の矛盾である失業者の増大が主要な要因であるが、
新自由主義はすでにアメリカで囚人労働や「ワークフェア」が出現しているように、
野宿労働者を新たな格安労働力として再編成しようとしている。野宿者リサイクルシ
ステムの構築こそが支配階級の要請である。自由労働・不安定労働の重層化/階層化
は定職層の賃金水準の引き下げ圧力として機能する。特措法の「自立支援事業」は見
事にこれに適合している。
野宿者や精神「病」者や外国人垂ネど、「異端者」「不安要因」は徹底的に分類して管
理する社会。住基ネットやNシステムできっちり監視されている社会。「高度な公共
の福祉のため」なら思想・信条の自由も制限される社会。野宿者としてのみならず
我々は着々と型にはめられようとしている。

☆ まとめとして

 「排除阻止」の運動も即物的な「利益供与」の運動も、「対策」攻撃の前ではもはや
通用しない。「野宿脱却」をスローガン的に掲げることは、問題を解決しないばかり
か行政・地域サイドの排除のベクトルをサポートすることになる。「傷」を癒し、
「負い目」を取り除くことが重要だ。仲間の「財産」を守り育てることが重要だ。可
能性を広げること、制約にならないこと。仲間づくり、コミュニティ建設はそうした
ことのために行うからこそ重要だ。
野宿が「どん底」なのではない。野宿により、人間が疎外されることが「どん底」な
のだ。

仲間は矛盾のカタマリだ。「誰の世話にもならん」と「野宿を抜け出したい」がひと
つのこころに同時に存在する。仲間は時にひとを害し自らを傷つける弱さを持ち、ど
のような状況でも生き抜くしたたかさや互いに支えあうあたたかさも持っている。つ
まり野宿の現場には裸の人間がいる。この人間とまっすぐに向き合い、生活のなかの
「思い」や「願い」を寄り添い支えることこそが運動であろう。仲間は「思い」や
「願い」を世に伝える手段すら奪われているのだ。野宿の運動にあっては、代行主義
・利用主義に陥らない声の出し方というものはキレイ事の中にはない。有効なものは
生活のなかにしかない。

差別をあおり、「傷」と「負い目」を増す特措法に反対する。
仲間の「財産」を奪う「センター・シェルター対策」に反対する。
自立コミュニティを建設しよう。

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